1912 — 2006

Michiko
Toyama

外山 道子
大阪 · パリ · ニューヨーク · 東京
作曲家
指揮者
音響研究者

日本の作曲家——大阪に生まれ、パリで学び、ニューヨークで称えられた。目の前に置かれたあらゆる壁を越え、困難に直面するたびに道を見つけた。

First · 01
ISCM音楽祭に作品が選ばれた最初の日本人作曲家
国際現代音楽協会(ISCM)、パリ、1937年
First · 02
コロンビア大学電子音楽スタジオ 初の客員作曲家
ニューヨーク、1956–1959年
Work · 03
《やまとの声》——日本で演奏されるまで56年
1937年にパリのISCM音楽祭で初演されたこの作品が、日本で演奏されたのは1993年のことだった
Science · 04
尺八音響研究の先駆者
1971年以降、尺八の音響に関する論文を数多く発表
01

三つの世界を生きて

略歴
外山道子(1912–2006)

1912
大阪
1912年9月1日、大阪に生まれる
父・外山捨造、母・治子のもと、大阪に生まれる。幼い頃から、音楽と音への好奇心が芽生えていた。
1930年代
パリ
ナディア・ブーランジェに師事——エコール・ノルマル音楽院
コープランド、バーンスタイン、ピアソラらを育てた伝説的な教育者ナディア・ブーランジェのもとで学び、世界でも最も厳しい訓練を受けた作曲家の一人となった。
エコール・ノルマル音楽院(パリ)
1937
パリ
ISCM音楽祭に選出——《やまとの声》パリで初演
第15回国際現代音楽協会(ISCM)音楽祭に選ばれ、1937年6月21日、荻野綾子の歌によってパリで初演された。同音楽祭に作品が選ばれた日本人作曲家は、外山が初めてだった。この作品が日本で演奏されるのは、それから56年後のことである。
第15回ISCM音楽祭 · パリ · 1937年6月21日
1939
パリ
パリで洗礼——そして帰国
ヨーロッパで戦争が始まる直前、パリで洗礼を受けてキリスト教徒となった。1939年に帰国し、フランスで10年近くかけて築いてきた世界を後にした。
パリ · 1939年
1940年代
日本
一雄と結婚——順子・正の母に
帰国後、一雄と結婚し、娘・順子と息子・正をもうけた。一雄は戦争を生き延びたものの、ソ連・シベリアの強制労働収容所に送られ、その地で亡くなった。道子は幼い二人の子を抱えて未亡人となった。
戦後
パリ
パリへ再留学——ミヨー、メシアン、そしてピエール・シェフェール
戦後、二人の子を家族に託してパリへ戻り、パリ音楽院でダリウス・ミヨーとオリヴィエ・メシアンのもと学びを再開した。そこでミュジーク・コンクレートの父ピエール・シェフェールと出会い、電子音楽の世界へ導かれる。この出会いが、その後のすべての道筋を決めた。
パリ音楽院 · ピエール・シェフェール
1955
タングル
ウッド
ロジャー・セッションズに師事——バークシャー音楽センター
再び大西洋を渡り、奨学金を得て、ボストン交響楽団の夏季アカデミーであるマサチューセッツ州タングルウッドのバークシャー音楽センターで、アメリカの作曲家ロジャー・セッションズのもと作曲を学んだ。
バークシャー音楽センター(タングルウッド)· 1955年
1956
ニュー
ヨーク
コロンビア大学電子音楽スタジオ 初の客員作曲家
1956年から1959年まで、コロンビア大学の電子音楽スタジオで最初の客員作曲家として活動し、コロンビア・プリンストン電子音楽センターがニューヨークに正式に創設されるまで在籍した。同センターは、前衛音楽・電子音楽の創作における世界屈指の拠点である。
コロンビア大学 · 1956–1959年
1957
1959
カーネギーホールで演奏——1957年5月26日、1959年5月3日
世界的に知られるコンサートホールの指揮台に立つ機会を得て、作曲家としての才能がアメリカで認められていった。
1960
Folkways
フォークウェイズ・レコードからLPを発表——『Waka and Other Compositions』
『Waka and Other Compositions: Contemporary Music of Japan』(FW 8881)がフォークウェイズ・レコード(現スミソニアン・フォークウェイズ)から発売された。電子音響の技法と室内オーケストラを、伝統的な詩歌や主題と融合させた、日本の現代音楽の記念碑的なLPである。
Folkways Records FW 8881
1960年代〜
日本
帰国——音響研究者へ
日本に戻ると、音楽家として鍛えた耳を科学へ向けた。尺八の音響特性を分析し、1971年から1980年代にかけて、国際会議で一連の論文を発表した。
尺八の音響研究
1993
《やまとの声》日本初演——56年の時を経て
パリのISCM音楽祭での初演から半世紀以上を経て、この作品はようやく故郷で演奏された。長い時を経た、深い意味をもつ帰郷の瞬間だった。
56年の時を経て
2006
2006年3月31日、94歳で逝去
日本、フランス、アメリカにまたがる94年の生涯——コンサートホールでも科学の研究室でも、同時代の女性の前にはあらゆる壁が立ちはだかった。彼女は、そのひとつひとつに道を見つけた。
02

Waka とその他の作品

Waka and Other Compositions — Folkways Records FW 8881

ジャケット・デザイン:ロナルド・クライン
外山道子の録音の歩みを紹介するために掲載しています。
スミソニアン・フォークウェイズでアルバムを見る →

Waka and Other Compositions
日本の現代音楽——日本の伝統的な主題と詩歌にもとづく
Folkways Records · FW 8881 · 1960

1960年にフォークウェイズ・レコードから発売された『Waka and Other Compositions: Contemporary Music of Japan』(FW 8881)は、古来の和歌を現代の音楽の言葉でとらえ直したアルバムである。外山道子は伝統的な詩歌や民謡の形式を素材に、室内アンサンブルと電子音響の技法を融合させた。

収録曲
01Waka (Part 1)
02Waka (Part 2)
03The Voice of Yamato: The Death of Yakamaro
04The Voice of Yamato: Spring
05The Voice of Yamato: Echo
06The Voice of Yamato: Prayer
07The Voice of Yamato: The Fairy Land of Yamato
08Torianse (Let Us Pass) / Takai Yama Kara (From the High Mountain) (medley)
09Aoi No Ue (Princess Hollyhock)
10Japanese Suite: Lullaby
11Japanese Suite: Oiwake
12Japanese Suite: Rice Husking Song
03

音響研究——尺八の論文

20年近くにわたり、外山は尺八の音を説明するモデルを、次第に精密なものへと発展させていった。湿った竹と乾いた竹の音色の違いを周波数の成分から分析することに始まり、ARMAモデルによる音の合成、さらに極零点モデリングへ。作曲家から科学者となりながら、音楽家であることを一度もやめなかった。

「困難に直面したとき、道を見つける…… なければ、自ら切り拓く。」
——外山道子
戦争と喪失
戦後、夫はシベリアのソ連の強制労働収容所で命を落とした——彼女の世界を一変させた出来事だった。家族の支えを得て、二人の子を育てながら、二つの大陸にわたって人生とキャリアを立て直した。
人種と性別の壁
1930〜50年代のヨーロッパとアメリカで、日本人女性として、それまで誰も開けたことのない扉をくぐり——その扉を開けたままにしていった。
科学者としての第二の人生
多くの人が実績に安住する年齢で、研究者として自らを生まれ変わらせ、作曲家の耳を音響学に持ち込んだ。
04

The Waymakers Alliance

05

メンバー

コロンビア大学 中世日本研究所・日本文化戦略研究所
Barbara Ruch — 顧問
D. Max Moerman — 所長
Ken Aoki — 副所長
06

ニュース

The Waymaker — Michiko Toyama across Three Worlds
The Mainichi · English edition
Monthly column on Michiko Toyama
Read at mainichi.jp →
07

今後の予定

準備中
08

参考文献

研究は続いています

外山道子の研究は現在も進行中です。新たな一次資料やアーカイブ資料が見つかり次第、掲載内容を更新することがあります。

09

お問い合わせ

the.waymakers.alliance.japan@gmail.com